いろいろな人が、右も左もこの論争の中に入ってきて、とにかく全部がM部省を叩きだしました。
初めは大学の教養教育や入試制度の問題も視野にはあったはずなのに、それらはどこかにいってしまい、「M部省」対「学力低下論者たち」という単純な図式に収斂し、「ゆとり」教育の是非だけが問題にされたのです。
あれは、KTさんとしても、問題だと思っていたのではないかと思っているのですよ。
「私自身は、M科省にも責任はあると思っていた。
政策の問題点をいっさい認めない態度を貫いていましたから。
ただ、教育改革の理念も何もかもが間違いだとは思っていなかった。
『ゆとり』教育にしても、3割教える内容を減らしたことがそれだけで問題になるわけではない。
教育がそれほど単純な問題ではないことは、わかっている。
それに、『自ら学び、自ら考える』力を付けることも、教科の知識をしっかり理解できるようにすることも、両方大事なことは当然のことです。
ただ、もしも、その両方か重要だというのなら、実現するための具体的な議論をしていくしかない。
その点で、教育内容の削減や学校5日制という時間や知識の資源の制約という問題が表れてくるわけです。
それと、こういう『教育論議』だけだと、先ほど言った階層化のような問題には目が向かなくなる。
『ゆとり』教育を批判する側の言い分にも、あまりに単純化しすぎた主張が目立つようになって、それもリアルじゃないわけですよ。
それともうひとつは、結局M科省を悪玉にしてバッシングすれば解決するという単純な問題ではない。
解決の糸口をどこに求めるのかということも同時に研究していかなければならないという視点は1999年の後半になると強く持っていた」あの時点で、せっかくリアルな議論を志向していた論争が、また従来の平板な対立図式に陥ったと思いました。
『C央公論』2000年8月号の特集「学力低下-校長たちの言い分」では、すでに問題の核心はM部省にはなく、地方の教育委員会であるという予測をベースに、M部省の政策のナカミよりも、実際にどうやって地方教育委員会に、さらに学校現場に降りてくるのかということがいちばん重要だと考えて、そこで地方教育委員会や各県の高校の校長や教員、私学関係者への大規模なアンケート調査を実施しました。
M部省には私学や大学への権限がないことをリアルに見据え、地方教育委員会の中央指向や「お上」意識こそを問題にすべきだと考えてのものです。
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